大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成6年(オ)538号 判決

熊本市大江本町八番二四号

上告人

伊井久雄

右訴訟代理人弁護士

千場茂勝

被上告人

右代表者法務大臣

松浦功

右指定代理人

渡辺富雄

右当事者間の福岡高等裁判所平成四年(ネ)第五二号慰謝料請求事件について、同裁判所が平成五年一二月六日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人千場茂勝、同石川才顕の上告理由について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右判断は、所諭引用の判例に抵触するものではない。論旨は、違憲をいう点を含め、独自の見解に基づいて原判決の法令違背をいうものであって、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)

(平成六年(オ)第五三八号 上告人 伊井久雄)

上告代理人千場茂勝、同石川才顕の上告理由

上告理由第一点

原審の判決には、憲法第三五条第一項に違反し、かつ最高裁昭和四四年三月一八日第三小法廷(刑集二三巻三号一五三頁)に背馳するところがあるので民事訴訟法第三九四条、同四〇七条に基づき破棄されなければならない。

本件訴訟記録からも明らかなように、また、当事者間にも争いのないところ、上告人に対する所得税法違反の嫌疑で熊本国税局が執行した昭和五五年九月八日付の強制調査は、同月五日付熊本地裁松本芳希裁判官の発付にかかる臨検許可状(乙第一号証)及び捜索差押許可状(乙第二号証)に基づくものであった。その際、強制調査は、上告人が経営する伊井産婦人科病院(以下、これを「上告人方病院」と略称する)ばかりか、病院に隣接の自宅棟にも及び、右同日、終日にわたる執行によって、多数の証憑とともに数万枚に及ぶ厖大な数の患者のカルテも差押えられた。

上告人訴訟代理人は、右捜索・差押手続は違法・無効な令状によって執行されたか、執行手続そのものに違法があり、その違法は憲法第三五条一項に所定の令状主義の要請に背馳するものと思料する。

なお、行政手続である国税犯則事件の強制調査に際しても憲法第三五条一項所定の令状主義が適用されるべきことについては、最高裁昭和四七年一一月二二日大法廷判決(刑集二六巻九号五五四頁)がある。そして学説上も異論をみない。したがって、本件に於いては、右判例の存在を指摘するにとどめ、その理由づけ等は縷説しない。

一 まず、本件捜索・差押処分には、その令状審査の過程で強制処分の必要性の有無の判断に誤りがあったばかりか、さらに、さかのぼって、次のような令状主義の基幹にふれる重大な違法があった。

(一) 第一審及び原審に於ける審理の結果明らかなように、昭和五五年九月五日付熊本地裁松本芳希裁判官発付にかかる本件捜索・差押許可状に「カルテないし診療録」の記載がないことは当事者間で争いのない厳然たる事実である。同許可状には、差押対象物として、「本件所得税法違反の事実を証明するに足りると認められる一切の帳簿書類、往復文書、メモ、預金通帳、同証書、有価証券及び印章等の文書ならびに物件」と記載されているにすぎないからである。

上告人訴訟代理人は、第一審以来、本件審理の過程で、右同許可状に基づく本件カルテの差押は違憲・違法・無効であることを強く主張してきた。原審における準備書面(一)においても、とくにこのことが強調されている(平成四年四月二二日付「準備書面(一)二頁以下参照)。

これに対し原審判決は、第一審判決の理由部分を若干の訂正加除のうえ、その全体にわたって引用するというかたちで、

「本件差押及び本件調査の経緯について認定した事実によれば、本件捜索差押許可状の『差押えるべき物件』欄の記載が原告主張のとおりであることは認められるが、本件捜索差押許可状の『差押えるべき物件』欄に記載されている帳簿書類とは事務上の必要事項を記入した書類であって、一定の秩序の下に管理されたもの又はこのような形で保管されることを予定した書類をいうと解されるところ、カルテは、医師が患者を診察した結果を記載したもので、法律上その保管が義務づけられているものであるから、カルテが本件許可状に記載された帳簿書類に該当することは明らかであって、本件嫌疑の内容からみて、右臨検許可状の『臨検すべき(場所又は)物件』面にはカルテの文字が明記されていること、カルテの重要性からいってこれを個別に明記することが妥当であることなどの各事実を考慮しても、本件捜索差押状発付裁判官及び同交付請求権者において、カルテを差押えるべき物件から意識的に除外したということは到底認められない。したがって、原告のこの点に関する主張は採用できない」

と判示し、右控訴人訴訟代理人の主張をのけた。

しかしながら、原審判決の右の結論にも、また、その理由づけについても、重大な誤謬があるというべきである。

令状裁判官は、原審判決がいうように、本件捜索・差押許可状の審査に当って、カルテの具体的表示をなさなくても、「一切の帳簿書類」中に包含されていると判断し、本件捜索差押許可状を発付したものと解しうるであろうか。原審判決はこれを肯認した。しかし、こうした理由づけは正当ではない。その理由は、次の点にある。第一審及び原審に於ける審理の結果からも明らかなように、本件には、右捜索・差押許可状のほかに、同一裁判官による、しかも同一日付の上告人方病院等に対する臨検許可状が発付されている。そして、臨検許可状には、「現金、有価証券、カルテ、在庫品などの物件」と記載されている。これを捜索差押許可状の「本件所得税法違反の事実を証明するに足りると認められる一切の帳簿書類、往復文書、メモ、預金通帳、有価証券及び印章等野文書ならびに物件」とする記載と比較するとき、両令状は明らかに異質である。すなわち、後者の捜索差押許可状においては、差押対象物の記載が詳細で個別的特定も怠りなくなされているにもかかわらず、なぜか、「カルテ」の記載だけが欠落している。令状請求権者の意思は別にして、同一裁判官が、同一日付で発付した両令状であるところからすれば、令状裁判官において捜索・差押許可状のみカルテの記載を失念したとみるのは皮相にすぎる。いわんや、第一審及び原審両判決がいうように、わざわざ捜索差押許可状の発付に当ってカルテのみ「一切の帳簿書類」中に包摂させ、これを個別的に明示しないという意図的な操作をなす必要性も認められない点からしても、上記原審判決の理由づけは正鵠を射ていない。ひっきょう、令状裁判官は、本件捜索・差押許可状で上告人方病院が保有するカルテの差押を命令していなかったものと解するほかはない。したがて、カルテの差押処分は違法・無効というほかはない。原審判決のこの点に関する判断は誤りである。

(二) 次に原審判決は、本件捜索・差押許可状の差押対象物として記載された「一切の帳簿書」中にカルテを包摂するといった包括的(省略的)令状記載方式を採ったが、そのような記載方法は憲法第三五条第一項にいう「押収する物を明示」すべき要請に違背し、とうてい許容の限りではない。一般的令状と探検的捜索の禁止は、令状主義がながい歴史の中で確保しえた成果であった。したがって、多くの学説や判例が、刑事訴訟法第二一九条所定の「差押えるべき物]の表示にあたっては、その対象物が何であるかを明確に特定しうる程度の具体的な表示を必要とすると指摘することに誤りはない。本件と類似の事案につき、このことを明示した下級審判例がある(東京地裁昭和三三年六月一二日決定第一審刑事裁判例集第一巻索引附追録二三六七頁以下)。事案は、公職選挙法違反容疑で捜査中のところ、昭和三三年五月二二日、東京簡易裁判所裁判官より東京国税局労働組合事務所に対する捜索差押許可状が発付されたが、被疑者であり同事務所の管理者である同組合委員長から、この捜索差押許可状の命令を違法として準抗告の申立がなされた。その理由の要諦は差押えるべき物が特定されていないというにあった。

ちなみに、この許可状には、差押えるべき物の表示欄には、

「本件犯罪に関係ある文書簿冊その他の関係文書(配付先メモ、頒布指示文書、同印刷関係書類等)及び犯罪に関係あると認められる郵送関係物件(封筒、印鑑等)」

と記載れていたにとどまる。

この準抗告に対する決定は次のように言う。以下に引用する。

「法が差押令状に押収すべき物の明示を要求する理由は、被疑者の氏名及び罪名の記載と相まって、特定の被疑事件について捜査機関に附与すべき差押権限の範囲を明確にし、これによって、一方捜査機関が差押権限を濫用し、権限外の物件を差押えることによって処分を受ける者の所持の安全を害することのないことを期そうとするとともに、他方、捜査機関が差押処分をなすに際しては、差押令状を相手方に示すべきことを要求し(刑事訴訟法第二百二十二条、第百条)、また責任者の立会を必要とすることにより(同法第二百二十二条、第百十四条)、もし捜査機関においてその附与された差押権限を超えて権限外の物まで不法に差押えた場合においては、相手方は、右令状の記載に照らして直ちに異議を述べ、または、刑事訴訟法第四百三十条により裁判所に対し違法な差押処分の取消を請求することができるようにし、もてその財産権を防衛することを可能ならしめる趣旨に出たものというべきである。

しかして、令状中に差押物件を明示するには、差押えるべき物を一々個別的に、その名称、形状、特質等を具体的に記載することが法の理想とするところというべきであるが、捜査の実際においては、かかる厳格な記載方法を要求することは、場合によっては不可能であり、かりに不可能でないにしても、これを要求することにより捜査の目的を十分に達し得なくなる虞のある場合も少なくないから、抽象的概括的説明を付加することにより差押物件を概括的に記載特定することもまた止むを得ない方法として許されるべきものといわなければならない。しかし、かかる抽象的概括的記載方法も無条件に許されるわけではなく、前述の法が令状中に差押物件を明示すべきことを要請する根本趣旨を没却するに至っては、その令状は差押物件の明示を欠く違憲違法のものというべきである。」

として、この許可状につき、その記載方法は、差押対象物の特定性に欠けるところがあるというのである。正鵠を射たものと評するほかはない。

さて、本件差押処分においては、前記令状は「本件所得税法違反の事実を証明するに足りると認められる一切の帳簿書類……」とあり、右東京地裁決定が指弾すると同様に、広範囲の書類を抽象的記載によって表示したものであって、原審判決認定のようにその中にカルテを包摂しようとすれば、差押対象物の特定に欠けると言わねばならない。本件捜索・差押令状に於ける差押対象物の表示内容は、右東京地裁決定が設定した抽象的概括的記載方法の例外的許容基準をも逸脱することは明らかである。令状として、その存在じたいが違憲・違法・無効である。したがって、本件捜索差押処分も、かかる違憲・違法・無効な令状によって執行された以上、同様に違憲・違法・無効というほかはない。

加えて、上告人訴訟代理人は、右の東京地裁決定がいうほか、抽象的概括的記載方法が例外的に許容されるための、いまひとつの要件として、当該令状には違反する個別法令名・罪名ばかりでなく、個別の罰条や被疑事実(本件では犯則嫌疑の具体的内容)の要旨の記載も必要であると考える。これによって、いかほどか差押対象物の個別的特定に裨益するものといえるからである。本件捜索・差押令状には、これさえも欠落している。ここにも違憲・違法・無効の疑いがある。以上、原審判決は、民事訴訟法第三九四条、同四〇七条によって破棄されるべきである。

ちなみに、最高裁昭和三三年七月二九日大法廷判決(刑集一二巻一二号二七七六頁)は、

「本件許可状に記載された『本件に関係ありと思料せられる一切の文書及び物件』とは、『会議録、闘争日誌、指令、通達類、連絡文書、報告書、メモ』と記載された具体的な例示に附加されたものであって、同許可状に記載された地方公務員法違反被疑事件に関係があり、且つ右例示の物件に準じられるような闘争関係の文書、物件を指すことが明らかであるから、同許可状が物の明示に欠くるところがあるということもできない」

と判示する。そして、この大法廷判決の存在が、本件同種事案の上告申立てに際して、これまで隘路をなって救済のみちを閉ざしてきた。

しかし、右判示の「本件に関係する一切の物件」式の抽象的概括的記載方式では、それ事態無限定で、そのような令状記載方式の許容は、捜査機関による強制処分権限の範囲を限定し、令状主義の潜脱を禁遏しようとする憲法第三五状の法意は蹂躙されずにはおかない。現に、本件でも、犯則年度以外の年次の診療カルテについても差押えがなされるなどの違法処分がみられた。それは司法自身の手による司法的抑制機能の法擲であり、ひいては、執行現場における執行者の自己抑制を曖昧にし、無用な強制処分にはしることの危険を危惧せざるを得ない。右大法廷判決は変更されるべきものと確信する。

押収目的物の特定方法につき、アメリカ法制では、合衆国地方裁判所刑事訴訟規則四一条Cの要請するところをうけて「令状の執行にあたる者が、自由裁量の余地のない程度に具体的・詳細であること」が必要とされている(Cf. Stanford v. Texas, U.S.476,1965)。参酌されるべきであろう。また、右昭和三三年大法廷判決事件の令状にも具体的被疑事実の内容が記載ないし別紙添付されていないところからすれば、「本件に関係ありと思料せられる一切の文書……」の「本件」自体が不明確で概括令状の感を深くする。強制処分に於ける事件単位の要請上、令状は一定の具体的被疑事件(被告事件)に関して発付されるものであることに思いを致すとき、令状裁判官がいかなる事件について捜索・差押を命令するかを特定するためにも、事件の具体的内容を令状に摘示(別紙添付)することは、憲法の明文がなくとも、いわば内在的に要求されているというべきであろう。

こうした視点からすると、前記昭和三三年六月一日の東京地裁決定こそ憲法第三五条に所定の令状主義の注意を正しく踏み分けているとみることができる。御庁は、右昭和三三年七月二九日判決(前掲)を本件に対する上告棄却の理由とするような誤りをおかすべきではない。

(三) 原審判決には、本件捜索・差押許可状の発付に当って、令状裁判官が令状審査に際して主要な職責の一つをなす強制処分の必要性の有無に関する判断について重大な認識の誤りがあって、それが判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反につながるばかりか、同時に最高裁判例に違反する誤りをおかしていて、この点に於いても破棄を免れない。

原審判決は、

「本件嫌疑の内容に照らすと、本件調査の目的を達成するためには、病名や治療方法を記載するとともに診療費用や保険診療報酬算出の基礎ともなる本件カルテの検討が不可欠であることは否定できず、それには本件カルテを確保することが必要であるところ、本件犯則嫌疑にかんがみるとき、任意の調査によることなく差押等の強制調査の方法によって本件カルテを確保しようとすることも原告が本件カルテについて保存義務を法律上負うことから直ちに本件カルテの差押の必要性がなかったということはできない。したがって、原告のこの点に関する主張は採用できない。」

として、原審訴訟代理人のこの点に関する主張を一蹴した。

しかしながら、右原審判決判示部分は、上告人が第一審手続から原審控訴審手続まで一貫して主張してきた、本件カルテに対する捜索・差押処分の必要性の有無の判断にあたっては国税機関の側の強制調査の必要性のほか、カルテの差押がもたらす上告人側の不利益、さらには多数の患者が蒙る諸々の不利益など諸般の事情をも比較考量すべき旨の主張に一顧だに与えず、単に上告人の医師法上のカルテの保存義務と考量することによって結論を急ぎ、問題の本質のありかを隠蔽してしまった。

そこで、上告人側のこの点に関する主張内容をいまいちど以下に陳述する。一般に、病院・診療所など医療機関において保有するカルテを差押えられたときの病院等がこうむる不利益は計りしれなく大きい、カルテの不備は、緊急時には人命にかかわることさえ起りうる。カルテは医師にとって患者の「生命を護る最大の情報源」なのである。とりわけて既往の病歴が重視される産婦人科医療の現場では、医療措置の選択・決定のうえでそのことが顕著である。いうまでもなく、カルテは、医療機関において、通常、継続的記録として保存され、それには患者の既往病歴、血液型、疾患の現状、対症療法の具体的措置内容などが必要に応じて克明に記載される。医療機関においては、診療担当医師は問診・触診、さらには各種科学検査の結果とこれを唯一の資料として患者に対する適切な医療措置を講ずるのである。叙上のことは、上告人方伊井産婦人科病院においてもかわりがない。本件カルテに対する差押処分は、かようなカルテの医療上の機能を無視して上告人方病院所有の総数数万枚に及んで執行されたのである。その結果、同病院に於ける適切な医療措置の実施は、一時完全に麻痺し著しい支障が生じた。現にカルテを国税機関に押収されたため血液型が判然とせず、適切な輸血の機会を失い、救急患者が他病院で死亡するといった悲しい犠牲者を生みだした(控訴人側「準備書面(二)」(平成四年七月一五日付)一一頁以下参照)。

さらに、ときとしてカルテの差押は、患者本人やその親族などにとって、身体的疾患というプライバシーの露見の危険をもつ。本件差押処分によって司直の呼び出しを受けた患者が、それがため家庭の崩壊をきたしたという実例は五指に止まらなかった。春秋に富む若き女子学生の生命の芽を摘み取る悲劇ももたらした(前同準備書面一九頁以下)。

こうして、被告人方病院に対する患者のらの不信感はつのり、現代医療にとって、とりわけて重視されるべき患者と医師との信頼関係は根底から破壊されていった。病院に対する社会的信用の失墜は経営基盤の危殆を余儀なくしたばかりではなく、病院が多年にわたり担ってきた地域医療への貢献の機会をも失わせる結果となった。こうした不幸な結果は、本件捜索差押令状の審査にあたった令状裁判官において、当然に予知し得たことであった。本件カルテの差押によって国税当局が収集しようとした上告人にかかわる所得税法違反の嫌疑を立憲するための資料は、カルテの差押によらずとも、窓口収入帳等の会計帳簿の外、伝票、診療日誌、診療報酬の請求控等によって十分に収集・立件できるはずのところであった。本件カルテのみが唯一の嫌疑の立件資料ではないのである。このことは押収の必要性判断に当って極めて重要である。かりに、嫌疑の立件のためにカルテの利用が不可避であったとするならば、その差押えにかえてコピーを任意提出させるなど代替手段も可能であったのである。このことにおもい至らず、数万枚もの個人カルテの無差別押収を許容したことは、令状裁判官として必要性判断に当って、明らかに彼我の比較考量を誤っているというほかはない。かりに、もし、原審判決がいうように、カルテが捜索差押令状の「一切の帳簿書類」の中に包摂されるものとして令状が発付されたとすれば、それは被差押者の不利益に一顧だに与えず、みずからの司法的抑制の職責を放擲し、違法な令状請求を座視した令状裁判官の職務上の過ちに起因したというほかはない。こうした捜索差押令状発付に際しての令状裁判官の必要性判断の誤りは、本件令状の無効原因になりうるものというべく、この点に於いても無効な令状に基づく本件カルテの差押処分の違法・無効をきたし、それは、ひいては原審判決の判示部分の誤りを牽引した。その結果、違法・無効な本件カルテの差押処分を追認した原審判決は、憲法第三五条一項、さらには同三一条に悖座するばかりか、最高裁昭和四四年三月一八日決定(刑集二三条三号一五三頁)の判旨に違反することとなった。原審判決は、この点においても破棄される必要がある。

周知のごとく、最高裁は、叙上の「国学院大学映画研究会フィルム差押特別抗告事件」で、差押処分の必要性の判断に当って、犯罪の態様、軽重、差押物の証拠とての価値、重要性、差押物が隠滅毀損されるおそれの有無のほか、差押によって受ける被差押者の不利益の程度その他の事情を慎重に考慮すべきことを判示した。同決定がもつ、この領域におけるリーディング・ケースとしての価値は、この「差押によって受ける被差押者の不利益の程度」を差押の必要性の有無の判断の資料とすべきことを明示したことのほか、被差押者の不利益の程度が差押の側の利益に優越するときには、令状審査に当る令状裁判官は当該令状請求を却下すべきこと、つまり差押令状発付に際し、差押の必要性の判断は、令状主宰者たる令状裁判官固有の権限に属し、必要性を欠くとき、それにもかかわらず発付された差押令状は違法であること、そして、当該違法な差押令状に基づく差押処分も当然のこととして違法であることの論理を可能にした点にある。

本件原審判決は、右最高裁判例に背馳し、必要性判断に際し充分の考慮を貫徹していないうらみがある。こうした判断の誤りは原審に於ける審理不尽をきたし、この点も加えて原審判決は、民事訴訟法第三九四条、同四〇七条に基づいて破棄されるべきである。

上告理由第二点

原審判決には国税犯則取締法(以下、これを「国犯法」と略する)第六条第一項の立会人に関する判断に誤りがある。しかも、その誤りは原審判決の帰趨に直接影響することが明らかであるから、民事訴訟法第三九四条、同四〇七条によって破棄を免れない。

(一) 国犯法による臨検、捜索・差押許可条の執行に際しても、その令状を処分を受ける者に呈示すべき必要のあることについては、下級審判例に次のような先例がある。東京高裁昭和四四年六月二五日判決(高裁刑集二二巻三号三九七頁以下)である。次のように判示している。すなわち、

「国税犯則取締法二条による臨検、捜索差押許可状に基づいて当該処分を執行するについて右許可状を処分を受ける者に対し示す必要があるかどうかについては、同法は刑事訴訟法一一〇条(なお同法二二二条一項)のような明文の規定を欠いているので、これを根拠とし、消極の見解をとる裁判例(昭和二六年九月一〇日名古屋高等裁判所判決、高裁刑集四巻一三号一七八〇頁、昭和二六年一〇月一八日仙台高等裁判所判決、高裁判決特報二二号八〇頁)がないわけではないが、手続の公正を担保するため、刑事訴訟法の右各規定の趣旨を推及し、右許可状は処分を受ける者に示すべきものと解するのが相当である。」

そこで、これを本件についてみるとき、病院棟について執行された本件捜索・差押許可状は、上告人伊井久雄には呈示されていない。その令状は国税査察官訴外田他英幸によって上告人方病院の同東邦良事務長に呈示された。この点、原審判決の摘示には誤りはない。しかし、この呈示は違法であったといえるか、それが問題である。このことにつき、原審判決は、

「なるほど、右許可状等は、その執行手続の公正を担保するために、原則としてその処分を受ける者に呈示することを要すると解すべきである。しかし、前記認定の本件差押の経緯によれば、控訴人は、ほぼ同時に自宅と控訴人病院に対して臨検・捜索・差押がなされることを十分に認識していたとみられること、そして自宅に対する許可状等は実際に示されたこと、控訴人病院に対する各許可状は東事務長に示されたこと、以上の事実が認められるから、控訴人病院に対する各許可状が控訴人に示されなかったにしても、このことから直ちに手続の公正を害うとは解し難い。また、同じ前記認定の本件差押の経緯によれば、控訴人病院に対する臨検・捜索・差押について東事務長が立会しているから、国税犯則取締法六条一項所定の者が立会していることが明らかであり、控訴人が立会しなかったことによってその利益の保護に欠け、手続の公正が害われたとみるべき事情は見当たらない。」

という。しかしながら、原審判決の右の論理は、にわかに首肯しがたい。

まず、判決も、上告人方病院に対する本件臨検、捜索・差押各許可状の呈示を受けるべき者が病院所有者である上告人本人であることを前提として認める。この前提は重要である。ただ、本件では、上告人が自宅棟に対する令状の呈示を受け、同時に病院棟に対する臨検・捜索がなされることを十分認識していたことを理由とし、上告人に病院棟に対する本件臨検、捜索・差押許可状の呈示をなさなかったとしても違法ではないというのである。しかし、右二つの理由は不可解である。令状呈示を受けるべき者が不在の場合ならばいざしらず、本件では、上告人は隣接の自宅棟にいて不在ではなかったのであるから、令状呈示は極めて容易であったのである。それをなぜそうとしなかったのか、それが不可解である。もし自宅棟と病院棟との同時執行で各別に令状の呈示をなすことが不可能であったというのであるならば、二つの令状を一括して上告人に呈示することは可能であったのである。上告人が病院棟に対する臨検・捜索を知悉していたという原審判決の叙上の理由づけは稚戯に等しい。原審判決も前提論として肯認したように上告人伊井久雄こそ本件唯一の令状呈示者であった。上告人本人に各令状を呈示すべきことは令状執行者の義務なのである。同人が知悉していたといっても、病院棟につき、令状呈示をなさなかったという事実は事実として残る。義務に違反して呈示しなかった手続の違法を詭弁を弄して隠蔽すべきではない。この点については、すでに指導的な下級審判例がある。東京地裁昭和四四年一二月一六日判決(下民集二〇巻一一号九一三頁以下)がそれである。次のように判示している。

「刑事訴訟法一一〇条は、差押状又は捜索状は受ける者に示さなければならない旨規定している。この規定は捜索又は差押の執行の公正とその執行を受ける者の利益が不当に害されないことを担保しようとするためのものであるから、右にいう処分を受ける者とは捜索の対象たる場所又は差押の目的物を直接に占有ないし所持している者を指すものと解すべきである。」

本件では、捜索の対象となった場所は伊井産婦人科病院である。そして、差押の目的物は患者のカルテ(診療録)である。ともに、その直接占有ないし所持している者は病院長である上告人である。

本件許可状は上告人たる病院長伊井久雄に呈示されなければならなかった。特に、カルテは、刑事訴訟法第一〇五条に基づき病院長である上告人において押収拒否権を行使するやも知れない法的可能性をもつ業務上の秘密文書である。それだけに、前掲東京地裁判決が判示する「執行を受ける者の利益が不当に害されないこと」のための担保という一点に限ってみても、令状の呈示は病院長伊井久雄本人に限定されなければならない。本件では、自宅棟において待機する伊井久雄本人に両令状とも呈示し、押収拒否権行使の熟慮をなさしめることは令状執行官において極めて容易であったと思料される。本件においてはそれがなされていない。上告人に令状が呈示されないままに執行された本件捜索・差押手続は違法である。そして、その違法を看過して、上告人への令状呈示を解怠した国税機関関係者の手続を適法なものとしての肯認した原審判決は、適用法令の解釈を誤り、その法令違背は判決に影響することが明らかであるから民事訴訟法第三九四条、同四〇七条によって破棄されるべきである。そして、本件で唯一令状提示者となりうるのは上告人であり、そのことは憲法第三五条一項所定の令状主義の要請するところでもある。この点、原審判決は憲法第三五条一項にも違反するというべきである。

(二) さて、上告人訴訟代理人は、前叙のごとく上告理由第一点に於いて本件カルテの差押の必要性の不存在について縷説した。それは、ひっきょう、本件カルテの差押は、莫大な数にのぼる患者のプライバシーの侵害の危険、そのことを契機とする伊井病院と患者との信頼関係の破壊、伊井病院の社会的信用の低下、地域医療の質的低下をもたらさずにはおかないからである。こうした結果は、差押をなす国税捜査官においては執行に当って当然予知できることであり、本件差押は、このように被差押者の不利益のみならず、地域における市民の適切な医療を受ける権利などを無視して実施された。

さて、こうした上告人側の隘路を打開するために、上告人には刑事訴訟法第一〇五条によって医師としての押収拒否権の保障制度がある。しかるに、原審判決は、右同条の立法趣旨の理解を誤り、同条に基づく上告人の押収拒否権を否定した。この点においても、原審判決には法令違反の違法があり、民事訴訟法第三九四条、同四〇七条によって、到底破棄を免れ得ない。

(1) 刑訴法第一〇五条が公務上の秘密についで特定業務者に押収拒絶権を与えたのは、他人の秘密に関する物を取扱う各列挙の業務者の業務遂行に際しての守秘義務を尊重し、あわせて秘密受託業務に対する社会一般の信頼を保護しようとするにある。同時に秘密委託者個人の利益を保護することもその目的の中に加えられてよい。同条但書が秘密委託者たる本人が押収に際して承諾したとき拒絶特権は認められなくなることは、同じく一種の自己負罪禁止の思想のあらわれともいうべき、秘密委託者本人が刑事事件の被告人であるときには、たとえ業務者が当該事件に関し拒絶権の濫用にわたるような場合でも、なおも押収拒絶権を行使しうると規定するところからしても、このことは首肯できる。

右は刑訴法第一〇五条列挙の各業務者が業務上委託され秘密事物を保管・管理するとき、その秘密委託者が刑事被告人として強制処分を受けるに際し、業務者が叙上の趣旨で自己の保管・管理それた事物につき司直が押収しようとするに当って拒絶しうる特権として認められたものであったに相違ない。従って、業務者自身が被疑者として捜査を受ける立場に置かれているときにでも、なお刑訴法第一〇五条によって押収拒絶権を有しうるか(ちなみに刑訴法第一〇五条は同法第二二二条によって捜査手続にも準用される)、それが問題となる。

しかしながら、業務者に秘密を託した者の利益を重視しようとするとき、業務者自身が被疑者となった場合であっても、押収処分によって委託者の秘密が暴露されることになれば、秘密委託者の利益は奪われるばかりか、業務者に対する社会一般の信頼も失われる結果になることを考えると、結論は積極的に肯定されてよい。そして、このことは秘密委託者が業務者の刑事事件と直接関係のないようなとき、とくに強調されねばならない。また、業務者が被疑者・被告人であるかどうかによって秘密委託者の秘密の保護に消長をきたすというのは得策ではない。ひっきょう、消極説・積極説両学説の選択は、前述の刑訴法第一〇五条の立法趣旨における理解の対立に連動してなされる必要がある。そして、上告訴訟代理人は、積極説に左祖する。そこで、問題は、本件で上告人方病院に於ける強制調査に際して、この差押拒否特権が行使されうる具体的状況が与えられたかどうかに帰する。この点、こうした上告人に保障された押収拒否特権は、本件では税務当局関係者の本件捜索差押処分の執行に際して上告人の立会をなさしめなかったため、現実には行使されることなく終ってしまった。そこで、この上告人の差押拒否特権行使の機会を奪う立会の欠落について原審判断に誤りはないかが改めて問われなければならない。原審封決は、次のように判示された。すなわち、

「刑事訴訟法第一〇五条の規定が国税犯則法二条に基づく差押の場合にも準用されるが、更には、本件のように業務者自身が嫌疑者である場合に刑事訴訟法第一〇五条の規定が準用されるかどうかの点はさておき、前認定の本件差押及び本件調査の経緯によれば、原告は本件カルテの臨検、捜索、差押のいずれの手続にも立ち会ってはいないことは認められるものの、原告自身が、もしくは原告の指示を受けて佐葉子又は東事務長が本件差押について押収拒絶権を行使したと認めるに足りる証拠はなく、しかも原告において原告病院における臨検、捜索、差押がなされることは十分認識していたというべきであって、押収拒絶権行使の機会を与えられていたことは明白である。(なお、押収拒絶権の告知義務については、これを認める明文の規定もなく、内田らには、原告に対して、押収拒絶権を有することを告知するまでの義務はないものと解するのが相当である)」。

しかしながら、第一審及び原審における訴訟記録からも明らかなように、本件は国税犯則取締法第二条による捜索・差押処分であった。従って、第一順位としては、さきの令状提示の場合と同様、病院においては病院の所有者が所在すればその者、すなわち、本件においては、病院長たる上告人伊井久雄を立会人にしなければならない(国犯法第六条第一項)。このことについては、本件の病院についての捜索差押に当った査察官の中の責任者である前掲出田英幸が、第一審の口頭弁論の際に証人として出廷し、その証言中において認めている(証人出田英幸の平成元年二月一三日の証言調書第一一項の記載)。また、同じく居宅の執行責任者である国税査察官の訴外内田繁も第一審で同旨の証言をなしている(証人内田繁の昭和六二年七月二三日の証言調書三一~三三項の記載)。それは国犯法第六条一項の各列挙者は並列列挙ではなく、事物の本性上、規定中、記載先順位者が優先するものと解されるからである。

病院長たる上告人伊井久雄は、当日午後四時頃から始まった病院棟に於けるカルテ等の差押処分執行時には、病院棟に所在し、査察官らの要請さえあればいつでも立会うことの可能な状態にあった。しかるに査察官らはこれをなさなかった。それは、ひとえに夜間に及び執行の回避と上告人の立会による執行手続の遅延を避けようとする姑息な意図によるものであった。こうして、前叙の医師たる上告人にその職責上保障された押収拒否権はその行使の機会さえも与えられることなく、さらには上告人に対し十分の説示さえもなされることなく本件捜索押収処分は執行されたのである。本件カルテ等に対する捜索・差押処分の執行手続には右のような手続上の複合的違法があったことは明らかである。ちなみに、原審判決は右理由中に拒絶権行使の有無について触れ、

「伊井佐葉子は、原審及び当審において控訴人が主張するように本件カルテの差押につき拒絶したと供述する。しかし、前記認定の本件差押の経緯によれば、控訴人自らが拒絶権を行使しようとすれば必ずしも不可能でなかったのにこれをしなかったこと及び原審証人内田繁の証言と対比すると、伊井佐葉子の右の各供述は直ちには採用し難い。」

とする。しかし、原審判決に判示の右各部分は、けっして上告人が本件カルテの差押処分に際し、みずから押収を拒否する趣旨の申入れがなされれば容易に許される状況にあったことを認定しうるものではないのである。

以上、ひっきょうするところ、本件上告人方病院に於けるカルテ等の差押処分は、上告人にその手続に際して立会の機会を与えることなく執行され、その結果、同人が医師として刑事訴訟法第一〇五条に保障された差押拒否特権を侵奪してなされたものというほかはない。もし、適法に差押拒否特権を行使することのできる自由な状況が与えられていたとすれば、本件カルテの差押処分は当然のこととして拒絶されていたはずである。このことを看過した原審判決には、刑事訴訟法第一〇五条、国犯法第六条一項の適用を誤った違法があり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、民事訴訟法第三九四条、同四〇七条によって破棄されなければならない。

ちなみに、本件捜索・差押処分に際しての被処分者たる上告人の立会の必要性は憲法第三五条一項の要請するところである。というべきである。被処分者は、捜索・差押に当っての人権ないし生活利益の過大な侵害のなきように監視し、かつ違法な処分に抵抗する権利をもち、被処分者の立会権と令状呈示を受ける権利は、令状主義の要請するところでもあると解されるからである。右第三五条一項に所定の「明示」は、被処分者に誤りのない立会を可能にするためのものである。こうした憲法第三五条一項の解釈が許されるならば、令状主義の要請をいま一歩すすめて、同条は司直の側に被処分者に対する令状提示義務をも規定していると理解することが可能であろう。それは同時に憲法第三一条所定の適正手続主義の要請するところでもある。本件上告人病院棟に対する捜索・差押に際し上告人の立会と差押拒否権の行使をなさしむることなしに執行された本件捜索・差押処分は右各憲法規定にも抵触し、これを看過した原審判決は憲法違反の謗りを免れない。

(2) 最後に、上告人は、別件所得税法違反被告事件に対する熊本地裁での公判審理の途次、本件差押カルテの一部に対する検察官側証拠調べ手続ののち、叙上各理由に基づく証拠調に対する異議と排除の申立てをなした。しかし、弁護人らの正当な法的主張は不幸にも刑事裁判所において容認されるところとはならず、昭和六〇年四月二五日付決定(公判物未登載)をもって棄却されてしまった。しかしながら、上告人は、右同決定は、極めて遺憾ながら憲法が標榜する適正手続の要請(デュー・プロセス主義)に背馳し、令状主義の本旨に悖る誤謬をおかしたといまにおいても確信する。そして、右決定に際し異議申立の対象とされた本件カルテ等の証拠能力は否定されるべきものと考える。そうした理解こそが昭和五三年九月七日の最高裁判決(刑集三二巻六号一六七二頁)の要請するところだと考えるからである。刑事手続での弁護人は、再度の異議申立を禁止する刑事訴訟規則第二〇六条の法意を遵守するとともに、判決前の決定なるがため抗告申立ての道を閉塞されたところから右決定を争うことをしなかったが、それは決定趣旨を首肯したためではなかったのである。御庁は叡智をもって、原審判決の判示右各理由につき、再度の考案をつくし、原審判決破棄の英断を示してほしいと考える。

以上

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